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  hiro通信         

  hiro通信         

**恐怖と無法の広島公教育界

■1.自分の選ぶ道がどこにもない■

 本年2月28日、広島県立世羅高校の石川敏浩校長が、卒業式
での国歌斉唱問題で、教職員組合から強硬な反対に遭い、ついに
自殺に追い込まれた事件はまだ記憶に新しい。3月5日の参議院
予算委員会では、亀井郁夫参議院議員が、石川校長の遺書の一部
を紹介した。

 何が正しいのかわからない 管理能力はないことかも知れ
ないが、自分の選ぶ道がどこにもない。

 さらに亀井議員は、石川校長の葬儀に際して、友人の東風上
(こちがみ)三原東高校長の弔辞の一部を紹介した。

 それでも27日には、なんにも言うてくれんかった。隠さ
んでも良かったのに、辛かったんだろうと思います。石川さ
んが口癖のように言っていた「こうなことは、口が裂けても
言われんけぇえのう。」を思い出します。

 石川さん、悔しいのう、石川さんは言わんでも、石川さん
の気持ちは、我々尾三(尾道市と三原市)の校長会のものは、
みんないたいほどわかるよ。どの学校でも、どの校長も、み
んな同じようなことを経験してきたんじゃけぇ[1]

 本講座では、65号「閉ざされたクラスルーム」で、広島県の
公教育の異常な実態を紹介し、また67号「同・証言編」では、
読者から寄せられた体験談を掲載した。石川校長の自殺を契機に、
関係者の国会証言や、教育委員会や報道機関の調査により、「閉
ざされたクラスルーム」を支配してきた勢力の正体が明らかにな
った。以下、石川校長の事件を軸に、その実態を追ってみよう。

■2.石川校長が書かされた反省文■

 石川校長の自殺の経緯について、広島県教育委員会は12ペー
ジにわたる調査報告書を公表した。そこでは平成10年4月に石
川校長が世羅高校に着任して以降の教職員組合とのやりとりが報
告されている。

 それによれば、石川校長は前任校で、ある教師を教頭に推薦す
るに際し、同校の組合分会の了解を得なかった。世羅高校では着
任早々この件を追及され、反省文を書くように求められた。

 その中で「まず、前任校の教職員に対して謝罪する」「97年
度人事における人事推進の反省のもとに、今後このようなことが
ないよう本校における人事推進は協定書に反しないように進めて
いく」などと石川校長は書かされたのである。[2]

 民間企業でたとえれば、社長が部長を任命するのに、組合の了
解を得なかったからといって、反省文を書かされたということだ。
まさに世の中の常識外のことが行われていた。

■3.君が代反対の要望書を、今ここで書け■

 広島県の高等学校長協会の岸本學会長(広島国泰寺高校長)は
3月10日、石川校長の自殺に至る経緯について、次のように参
院予算委員会で証言した。[3]

 平成10年12月17日、文部省からの指導のもと、県教育委
員会は、入学式、卒業式で、国旗掲揚・国歌斉唱を実施すべきと
の通達を各校長に出した。

 広島県教職員組合(広教組)に、部落解放同盟広島連合会(*)
も荷担して、通達を撤回させるという方向で闘争することを決定
した。(*以下、解放同盟と略す。ただし、岸元会長はこの広島
連合会は、他の都道府県の部落解放同盟や中央本部とは違った動
きをしており、峻別すべきと注意している。)

 解放同盟は、2月11日、福山地区の校長18名を解放会館に
呼び、組合も含め、約100人に及ぶ「大衆団交」を行った。

 卒業式での君が代の実施は従来行ってきた同和教育と矛盾する
との要望書を校長会として県教育委員会に出せと言われ、「検討
させてください」、「今ここで書け」と、いうやりとりの後、要
望書を出す結果となった。

■4.解放同盟の介入■

 引き続き、十三日にも石川先生がおられた尾道、三原地区
の校長たちもさっきのような百人規模の交渉を受け、要望書
を県教育委員会に提出しました。

 さらに、国歌斉唱を予定している個々の学校にも卒業式が
近づくにつれて部落解放同盟広島県連の方がおいでになって、
我々の子供たちを当日欠席させるぞとか、卒業式途中で退席
させるぞとか言われ、そうすると退席すればこの子が部落の
子であるということがはっきり明確になってしまう、そのこ
とによって新たな差別事件が起きたら許さぬぞ、こういうふ
うな国歌斉唱実施を妨害するような行為がありました。

 この証言に、矢野哲朗議員が「なぜ、学校部外の団体が介入し
て学校の運営を左右することができるんですか」と聞くと、岸元
会長は、昭和60年に作成された県知事、県議会議長、県教育長、
教職員組合など、八者による懇談会合意文書を指摘した。

 この八者に解放同盟が入っており、さらに合意には「差別事件
の解決に当たっては、関係団体とも連携し」という文言が入って
いた。この「連携」という言葉がひとり歩きして、卒業式の持ち
方についてまでも解放同盟の介入を許す結果となった、と言う。

■5.疲れた、もうだめだよ■

 2月24日、辰野教育長が、学習指導要領に基づいて卒業式を
行うよう、県立校長会で職務命令を出す。これについて岸元会長
は語る。

 教職員を説得する材料として、私ども校長の方から教育委
員会へ職務命令を出してもらえないかという心待ちの気持ち
があったという事実をここに報告させていただきます。そし
て、その効力は結構あったというふうに私は受けとめており
ます。

 翌25日には、尾三地区校長会の副会長として、会長の東風上
校長ら3人とともに、組合、および解放同盟の代表14,5人に
呼び出しを受け、「(通達に)抗議しろ、辰野教育長、岸元会長
に抗議文を出せ」。校長会「それはできない」というやりとりが、
約2時間続き、結局物別れに終わる。散会後、石川校長は、東風
上校長に電話して、「これから学校に戻って職員会議なんだが、
行きとうないなあ」ともらす。

 午後4時30分から、約5時間もの職員会議。石川校長は、国
旗・国歌の実施を依頼するが、組合は強硬だった。校長は東風上
校長に「君が代を歌うなら、国旗はおろすと言われた。全部非協
力的。駅伝の送り迎えもしないと言われた。国歌を歌うのはあき
らめた」と伝えている。駅伝は世羅高校の伝統。送り迎えを断ら
れたら、それがつぶされてしまう。

 26日午後8時から9時40分まで、組合幹部のもとに連れて
行かれ、「君が代斉唱を実施するなら、同和地区生徒を欠席させ
たりして、卒業式そのものを妨害する」などと恫喝され、国歌斉
唱見送りを約束させられた。

 27日、東風上校長から、「尾三地区の他の学校では国旗・国
歌がやれるようになった」と電話で聞き、午後8時30分、組合
に対して、再度、職員会議で話し合いたいと申し入れたが、「も
う25日にやらないと決めたから、28日の職員会議はやらな
い」と拒絶される。

 その夜、東風上校長が電話しても、石川校長は出ず、心配して
翌28日朝、県教育事務所の指導主事に訪ねてもらうと、「疲れ
た、職員会議も開かれない。もうだめだよ」と漏らした。石川校
長が首をつったのは、この直後である。[4,p12]

■6.校長が法令規則を守ろうとしたら、なぜ孤立するのか■

 学校行事の決定は、本来校長の職務権限であり、職員会議はそ
れを補佐する諮問機関である。その職員会議が、校長の権限を奪
い、なおかつ、校長が要望しても、話し合いの場を持つことすら
拒否する。石川校長が遺書に「自分の選ぶ道がどこにもない」と
まで追い詰められたのは、こういう状況なのである。

 石川校長の夫人は、「人権を讃える人たちに主人の人権は奪わ
れました。許すことはできません」と、葬儀に参列した県議会議
員に語っている。[4,p19]

 岸本会長が予算委員会で、証言を行ったのも、「私は、第二、
第三の犠牲者を出さないためにはどうしたらよいかという思いで
この席に出席させていただきました」という動機からであった。
岸元会長は、次のように憤る。

 校長が法令規則を守ろうとしたら、なぜ孤立するのか。私
は憤りを感じる。広島県の教育界には、法令規則を逸脱して
も構わないという風潮がある。

 世の中には決まりというものがある。その決まりを逸脱し
ていたから文部省の指導があった。県教委の指導で私たち校
長が是正を実施しようとしたら、動きがとれなくなる。その
仕組みが問題だ。[5]

■7.焼香もしない世羅高教師たち■

 岸元会長のもとに、証言の後、組合からの大量の抗議電報が届
く。石川校長を自殺に追い込んだ世羅高校からも、「教育者とし
ての良心はないですね。教育界から出ていってください」という
電報が来て、岸元氏は「(教職員組合は)全く反省の色も見えな
い。私は、世羅高校の先生方に失望せざるを得ません」と語った。

 石川校長の遺書を紹介した亀井郁夫議員は、8月2日に行われ
た参院国旗国歌特別委員会で、「いまだに石川校長が職場をとも
にした世羅高校の先生が、線香を一本もあげていない」事を紹介
した。

「人間としてこんなことが許されるのか。一人くらい線香をあげ
る人がいてもいいと思うが、ゼロということに驚いた」と慨嘆。
さらに、「数十人の世羅高校の先生が完全にマインドコントロー
ルされているのか、あるいは何かが怖くて参ることができないの
か。何が怖いか。解放同盟であり、教職員組合だろう。」と述べ
た。[6]

■8.教員が恐怖感の中で支配されている■

 今回は、岸元氏の勇気ある証言で、石川校長の自殺が社会的に
も問題とされたが、実は、広島県の教育関係者の自殺はこれが初
めてではない。

 3月3日の参院予算委員会では、矢野哲朗議員が、「過去にお
いて、学校の校長先生が六名、なおかつ教諭六名、そして県庁の
教育委員会の職員が二名、計十四名の方が自殺に追いやられた」
と報告している。

 岸元会長の証言の後、地元選出の宮澤喜一大蔵大臣が発言を求
められ、次のように述べた。

 四十年間たくさんの人が闘ってまいりました。こうやっ
て今命を落とされた方の報道がございましたが、人の知る
と知らないとにかかわらず、たくさんの人がいわばリンチ
に遭い、職を失い、あるいは失望して公職をやめる、それ
は無限にございます。

 広島県議会議員の石橋良三氏は、教職員などから「はっきり言
って怖い。もし反対したら個人的に恐喝を受ける」という声を聞
き、「教員が恐怖感の中で支配されている」と述べている。世羅
高校の教職員が一人も焼香にすらこられないというのも、この
「恐怖の支配」のあらわれであろう。[7,243]

■9.組合の無法ぶり■

「恐怖の支配」のもとで、「法令規則を逸脱しても構わない」と
する広島教育界の無法ぶりがその後、次々と明らかにされた。簡
単に列挙すると、

・ 生徒に授業中、中国ブロックテストを受けさせ、一人130
0円から1800円を業者に払わせる。この業者の役員に教
職員組合の現役教師が無許可で就任していた。また問題作成、
採点を教師が行って謝礼を受け、受験料の約15%は、学校
がバックマージンとして受け取っていた。[8,9]

・ 高校などの主任には、年間5千万円の手当てが支出されてい
るが、そのほとんどが組合活動の財源として吸い上げられて
いる。手当ての拠出に同意しない教師は、主任にさせない、
という反対闘争を行っている。[7,p272]

・ 福山市内には28の解放会館、教育集会所があり、ここで解
放同盟に入っている親の子供たちを対象に、教師が出張して
勉強を見てやっている。市は一回あたり1800円の謝礼を
出し、費用は総額年間6千万を超える。なぜ地区の子供だけ
特別扱いするのか、「逆差別」との批判が出ている。[7,p183]

・ 組合活動などで学校を離れる場合、一応年休届を出しておく
が、帰任後、届を破って、年休を減らさないという「年休破
り」が、過去数十年間行われていた。[10]

・ 広島県中部の竹原市や周辺小・中学校で、校長による「勤務
評定書」の評定項目が全職員分、「優良である」に統一されて
いたり、総合所見欄が記入されないなど、形骸化していた。
「記入後に教職員にチェックされた」との現職校長の証言もあ
る。[11]

 権力を私物化するものが反対者を弾圧し、私利私欲に走るのは、
まさに共産主義国家に見られた現象である。ちょうど10年前、
自由を求める市民によってベルリンの壁が倒され、恐怖と専制で
人民を支配していた東独の共産主義政権が崩壊した。

 広島においても、文部省、県教育委員会、国会議員や県議会議
員などが、不法行為摘発に乗り出し、さらに県民有志が教育正常
化に立ち上がり、「広島県教育会議」も結成された(下記リンク
参照)。広島のクラスルームを閉ざしていた「壁」が倒され、恐
怖と無法の支配から生徒や教師たちが解放される日も遠くない。

■参考■
1. 145回 参議員予算委員会 H11.03.05
2. 「県教委報告書に見る世羅高校長自殺の背景」、
  世界日報、H11.05.03
3. 145回 参議員予算委員会 H11.03.10
4. 「広島県教育正常化への戦い」、石橋良三、清風社、H11.07
5. 「国旗・国歌と教育(中)校長自殺の衝撃 是正しようとしたら
   孤立」、産経新聞、H11.03.10、東京朝刊、1頁
6. 「自殺校長宅での焼香、世羅高の教員はゼロ」、産経新聞
H11.08.03、東京朝刊、2頁
7. 「広島の公教育はなぜ崩壊したか」、鴨野守、世界日報社、
H11.4
8. 「広島 テスト会社の役員に就任 県立高教諭ら処分」、
  産経新聞、H10.12.28、東京夕刊、10頁
9. 「教育再興(121) 続・広島の教育(3)中国ブロックテスト」
  産経新聞、H10.11.29、東京朝刊、28頁
10. 「組合活動も“勤務” “破り年休” 県教委、是正へ」
  産経新聞、H11.08.20、東京朝刊、31頁
11. 「校長の教職員勤務評定 全員「優良」で統一」
  産経新聞、H11.08.29、東京朝刊、1頁



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